CALL OF DEAUTY 3 x TOKYO MARUI Weapon Explanation
1940年6月第二次世界大戦真っ只中。
連合国軍はドイツ軍の激しい抵抗の中苦戦を強いられていた。
この時代の戦い方は多人数による同時突撃が主流であった。
そのため兵士が携行する銃に求められたものは「近距離での威力」「多弾数」「軽量」ということであった。
そんな中、後にサブマシンガンの代名詞とも言われる「トンプソンM1A1」が誕生する。
瞬く間に世界中の軍隊やギャング・マフィアにまで浸透していったトンプソン、そこにはどのような秘密があったのだろうか。
 
トンプソンM1A1
M1A1SMG 実践テクニカル・データ
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【元米国軍将軍ジョン・トンプソンが開発「トンプソンSMG」】
時は第一次大戦中。ヨーロッパの戦場では塹壕での壮絶な戦いが繰り広げられていた。
膠着した前線を突破するためには、多人数による同時突撃で一気に攻め込むという作戦しかなく、各国の軍隊は常に多数の犠牲を強いられていた。
こうした戦闘で兵士の携行する銃に求められたのは、近距離での威力の高さと多弾数、そして計量さであり、現場では既存のライフル銃よりは拳銃にロングマガジンを装備したものなどが重宝がられた。
そんな時代背景の中、世界最初の「拳銃弾を使用するフルオートマチックの長物=サブマシンガン(SMG)」がドイツで生まれた。

そんな戦闘現場をつぶさに観ながら、当時のアメリカ軍で指揮に当たっていたジョン・トンプソン将軍も、軍用銃としてのSMGの必要性を痛感。退役後にオート・オーディナンスという会社を興し、米国産SMGの開発に乗り出す。
そして1921年、ついに「トンプソンSMG(M1921)」が完成された。拳銃弾としては当時最高威力の.45ACPを1秒間に約12発も発射する、その圧倒的な攻撃力に最初に目を付けたのは、当時施行されていた禁酒法を逆手にとって利権を貧り合い、血で血を洗う抗争に明け暮れていたギャングたちだった。


【ギャングスター達のステイタスシンボルとしての名声】
”トミーガン”
”シカゴタイプライター”
などというニックネイムで呼ばれ、アル・カポネ、あるいはジョン・デリンジャーといった、”ギャングスター”たちのステイタスシンボルとなったトンプソンSMG。彼らに対抗する立場にある警察やFBIへの需要も高まり、当時のアメリカ社会を象徴する存在として、皮肉なカタチでその名声を高めていったのである。
 

 
【トンプソンM1A1誕生】
また、トンプソンSMGは軍用としても1927年のニカラグア進行作戦などで部分的に使用され、実力が認められると同時に細かいマイナーチェンジも行われた(M1928、M1928A1)。
そして第二次大戦が勃発。イギリス、フランスなど同盟のヨーロッパ諸国からの大量発注に応えるため、さらには自国/アメリカ軍への採用を睨んで、大幅に生産性の見直しが図られた軍用・量産型のトンプソンSMG「トンプソンM1A1」が開発される。米軍に制式採用されたのは1942年の事であった。

【現代に蘇るトンプソンSMG】

戦場の極限状態での人間の尊厳に迫る感動のドラマを、迫力のリアル映像で淡々と描いた映画作品「プライベートライアン」。
ここでも主人公、ミラー大尉の手に握られていたのはトンプソンSMGであり、
完璧な時代考証がなされた作品だけに、もちろん「M1A1」そのものであった。

醒めた目で戦場を見詰めながらも、内に秘めた思いにおう脳し、時には怒り、時には涙を流し、傷つき、そして勇敢に戦った第二次大戦映画のヒーローたち。
トンプソンSMGの鋼鉄のボディには彼らの隠された真の姿が映り、木製のストックやグリップ、フォアエンドにはそんな男たちの匂いや汗、そして魂までもが染み込んでいる……。
トンプソンSMGを見詰め、そして手にするとき、私たちもその片鱗に触れているのかもしれない。